東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)16号 判決 1955年10月04日
原告 大和久十郎
訴訟代理人 高橋登 他一名
被告 特許庁長官 上野幸七
訴訟代理人 保高春一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
原告訴訟代理人は、「昭和二十九年抗告審判第二、五五一号事件について、特許庁が昭和三十年一月二十八日になした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は、昭和二十八年十月一日訴外弁理士高橋登外一人を代理人として、煉炭の製造法に関する発明を内容としてその特許を出願したところ(昭和二十八年特許願第一七、七七五号事件)、審査官は、昭和二十九年十月二十一日拒絶査定をなし、その謄本は、同月二十五日右代理人に送達された。
これより先右出願に対し拒絶意見通知書が前記代理人に送達されたとき、及び右拒絶査定が送達されたとき、代理人は、原告に対しこれを通知したが、原告は何等の通知をもしなかつたので、右代理人は右拒絶査定に対し抗告審判の請求することもなく、三十日の不変期間を経過してしまつた。
しかしながら当時原告は病気のため、右不変期間を守ることができなかつたので、原告は昭和二十九年十二月十八日右代理人により、制規の手続に従い、期間を守ることができなかつたことを医師の診断書により証明して、期間懈怠の結果免除の申請と同時に前記拒絶査定に対する抗告審判の請求をした。(昭和二十九年抗告審判第二、五五一号事件)
二、右抗告審判の請求に対し、特許庁は、昭和三十年一月二十八日「抗告審判請求人には代理人がおり、その代理人の身上に生じた不慮の事由によりその期間を遵守し得られなかつたものでないから、たとい抗告審判請求人に過失がなかつたとしても、代理人がいる場合には、特許法第二十五条にいう当事者の責に帰すべからざる事由によつたものということはできない」との理由で、右抗告審判請求却下の審決をなし、その謄本は、同年二月十一日原告代理人に送達された。
三、しかしながら、右審決は、次の理由によつて違法であつて取り消されるべきものである。
(一) およそ出願又は審判において、一つの審級が終了したときは、当事者本人は、その査定又は審決に対し、これを承服して出願の変更をなし或は出願を放棄するか、又はこれを不服として上訴をするかを決定するのであるが、そのためには本人はその理由を検討するはもちろん、その経済的事情をも勘案してこれを決定する。その上でこの決定を代理人に伝え、ここにおいて初めて代理人はその趣旨に従つて行為を為し得るものであつて、その決定のない限り、代理人としては、何等の行為をもなし得ない地位にあることは実際の実情である。若し右の場合その選択決定の権限も委任したものであれば、その旨の記載がなければならない。本件について、原告が当初特許庁に提出した委任状には、弁理士高橋登、高橋正已に対し、「一、特許願ニ関スル一切ノ件並ニ本件ニ関スル取下出願変更出願人名義変更証明申請抗告審判及提出物件ノ下附ヲ受クルノ行為」を委任する旨は記載してあるが、特に前述の選択決定の権限を委任した旨の記載はない。従つて原告本人がこれを決定し、不服申立の通知を受けるまでは代理人はなく、従つて特許法第十七条の二及び同法施行規則第二十七条の規定によることはできない。
(二) そればかりでなく、前述の委任状に記載された「抗告審判」に関する事項は、印刷された、いわゆる不動文字の例文であつて、委任の際直接に筆記した委任状にはかかる記載あるものは極めて稀なことであることから見ても、前述のような実情の下に成立した委任状で、本人として査定に対し承服するか不服を申し立てるかのような重要な決定権を一ケ年以上も以前に出した委任状に、単に前述のような文字が書かれてあるとしても、これを以て代理人があると認定するのは、実情に合致しない認定である。
(三) 右の事情は特許庁においても一般に認めて来たところである。すなわち一つの審級中に属する代理人により出願した特許又は実用新案等の登録料の納付につき、本人がその責に帰すべからざる理由により期間中に納付手続を為し得ないため、その出願が無効処分を受けた場合、本人が前記理由により出願から事件を代理した代理人がその懈怠の結果の免除を申請した事件につき、未だかつて代理人があるから本人の如何なる事情をも斟酌するものでないと之を却下した例はない。しかるにかかわらず本件に限り、本人の決定権を無視して、何等本人の事情を考慮することなく抗告審判却下の審決をしたのは違法である(大審院大正六年(オ)第一〇六六号、大正四年(オ)第七五六号、大正五年(オ)第五六一号各判決参照)
(四) 仮りに審決のいうように、懈怠の有無を代理人によつて決するものとしても、前述のように本人の身上に生じた不慮の事由により、代理人は、その責に帰すべからざる事由で期間を遵守することができなかつたものである。
第三被告の答弁
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の請求原因としての主張に対し、次のように述べた。
一、原告主張一及び二の事実は、これを認める。
二、同三の主張はこれを否認する。
(一) 原告が、当初特許願に添付して特許庁へ提出した委任状には、原告が主張するような事項が明記されており、しかもこの委任は解除していないから、原告の代理人高橋登外一名には、抗告審判請求の権限も委任されていることが明かであり、このことは当然に原告のいう「選択決定の権限」を包含していると解すべきである。
(二) また委任状がたとえ印刷されたものであつても、それに記載された字句が例文に過ぎないということはできないし、また委任されて一年以上経過しても、代理権の終了又は解任がない限り、委任状により委任された事項は、依然委任されていることは明かであつて、単なる時間の経過によつて委任が解除され、または委任事項が変化するものではない。
(三) 原告代理人が(三)に述べている事柄は、特許又は実用新案等の登録料の納付を怠つた特許法第二十四条に関するものであり、抗告審判請求の期間を遵守し得なかつた同法第二十五条の場合とは、全然その趣旨を異にするものである。
(四) たとえ本人の不慮の事由により、意思決定の通知が代理人になくとも、代理人はその事項について本人から委任されているものであるから、その責に帰すべからざる事由で期間を遵守することができなかつたということはできない。
第四証拠
原告訴訟代理人は甲第一、二号証を、被告指定代理人は乙第一号証を、それぞれ提出し、いずれも相手方の提出した文書が真正に成立したものであることは認めると述べた。
理由
一、原告主張一及び二の事実は、当事者間に争がない。
二、よつて先ず代理人によつて特許出願をなし、右代理人が当該事件についてなされた拒絶査定に対し抗告審判を請求する権限を有する場合、特許法第二十五条にいう「其ノ責ニ帰スヘカラサル事由」の有無は、代理人についてもこれを判断することができるかどうかを考察するに、同条は、法律が一定の期間を守らなかつたためその行為をすることができなくなる不利益を規定している場合、若しその期間を守ることができなかつたことが当事者の責めに帰することができないようなときには、これをそのまま放置することは、正義衡平の観念に反するので、その救済として一定の期間を限り、法律上は一応できなくなつてしまつた行為の追完を許した趣旨と解せられるところ、たとい当事者本人についてはそのような事由があつたとしても、同人に代りそれらの行為をする権限のある代理人が存在し、この代理人には何等そのような特別の事由がなく、同代理人においてその行為をしようとすればすることができたような場合には、特に後にいたり、行為の追完を許し、これを救済しなければならないような必要は考えられない。すなわち前述の事由の有無は、そのような代理人についても考慮することができるものと解せられる。
三、次ぎに特許出願につき出願者を代理した代理人が、特許願と共に特許庁へ提出した委任状に、他の権限と併せ「抗告審判(中略)ノ件」が与えられている場合には、その代理人は、ひとり本人が決定した意思に基いて抗告審判を請求しその手続を代理して行う権限ばかりでなく、拒絶査定に対して抗告審判を請求するかどうかの、原告のいわゆる選択決定の権限をも与えられたものと解するを相当とする。けだし代理人は、他人の決定した意思の伝達を為すに止まる使者と異なり、他人に代つてみずからその意思を決定し、それに基いて行為をすることができるものであり、「抗告審判ノ件」について与えられた代理権限は、かかる意思決定をなす権限をも含むものと解するを相当とするからである。そして既に他人に代つてみずから意思を決定する権限を有する以上、本人についてその責に帰することができない事由があつたとしても、これが当然に代理人について同様の事由となるものとは解されない。
四、本件において、その成立に争のない乙第一号証によれば、原告が本件特許の出願に当り、特許庁に提出した委任状には、原告は訴外弁理士高橋登、同高橋正已の両人を代理人として、「一 特許願ニ関スル一切ノ件並ニ本件ニ関スル取下出願変更出願人名義変更証明申請抗告審判及提出物件ノ下附ヲ受クルノ行為」等の権限を委任する旨を記載されていること(尤も右引用文言のうち「特許願」以外の文字は、全部印刷されたものである。)が認められ、これによれば、右弁理士高橋登、高橋正已の両名は、原告を代理して、右特許出願に関する手続と共に、拒絶査定について抗告審判を請求する権限をも与えられていたものと認定するを相当とする。
原告代理人は、右委任状における権限に関する事項の記載は印刷にかかるもので、いわゆる不動文字の例文にすぎず、更に一ケ年以上も以前に提出した委任状に、単にこのような文字が書かれているとしても、前述のような認定をするのは事情に合致しないと主張するが、委任状における権限の事項が印刷されたものであり更にこれが一年前の作成にかかるものだとしても、これがため常に当事者がこれによる意思がなかつたものと解することはできず、本件について特に当事者がこれを例文としてこれによる意思がなかつたとの事実を認めるに足りる証拠は全然ない。
五、最後に原告代理人は、「原告本人は昭和二十九年春頃から神経衰弱症の症状にあり、同年十月頃から病勢昂進し、医師の命により、一切の業務を禁止して、他人との面会を謝絶し、絶対安静の状態にあつた」ことを理由として、本件手続追完の理由とするとともに、本人の身上に生じた右の事由は、代理人についてその責に帰すべからざる事由だと主張するが、すでに代理人として本人に代り意思決定をする権限を有すること、前段認定のようである以上、本人について生じた右の事由は、代理人がその権限に基き意思を決定し、抗告審判を請求することを妨げるものとは解されない。その他右代理人等自身について、何等抗告審判の請求をすることができないような事由のなかつたことは、弁論の全趣旨に徴し明かであるから、原告は、前記行為の追完をすることができないものといわなければならない。
六、以上の理由により、審決には原告の主張するような違法はないから、原告の本訴請求はその理由がなく棄却を免れず、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。
(裁判長判事 内田護文 判事 原増司 判事 高井常太郎)